KIXで出会えるアート ~KIX CULTURE GATE Project 第4弾~


世界中からのお客さまが行き交う関西国際空港(KIX)を拠点に、関西・日本の多彩で豊かな文化を発信する「KIX CULTURE GATE Project」。
今回は、第2ターミナルビル 国内線の到着エリアに関西各地に設置されているパブリックアートを撮影した作品を展示します。空港という旅の起点・通過点でアート作品に出会うことで、目的地へ向かう途中や旅の前後に、写真で紹介している作品の実物を訪れ、作品を鑑賞するなど、芸術を楽しめる新たな旅を提供します。
今回出展する8名のアーティストは、関西を代表する芸術家から、現代の公共空間を彩るアーティストまで、世代やジャンルを超えた多彩な顔ぶれです。空港でのアートとの出会いをきっかけに、関西の新たな魅力を提供します。
空港を文化発信の場として進化させるための一歩として、KIX CULTURE GATE Projectは今後も、空港の魅力を高め、旅にわくわくするような体験を提供してまいります。
ART WORKS

天下の台所
過去の歴史や伝統の上に新たな魅力や可能性を加えながら、 常にカタチを変え、進化していく。 Semba Mural Parkは、 そうした精神をアートの力で表現したオンリーワンの空間です。 巨大な壁画だけでなく、 様々な映像コンテンツによる空間演出も交えて、 来館される皆様に「憩いと賑わいの時間」をご提供。
この場所で誰とどのような時間を過ごすのかは、アナタ次第です。
BAKIBAKI+OT29
BAKIBAKI
1978年、大阪生まれ。日本のサブカルチャーに着想を得て、古来の紋様を現代的にアップデートした《BAKI柄》は、21世紀を代表する和柄を志向している。
クラブやフェスなど音楽の現場におけるライブペインティングをルーツとしつつ、現在は建物の外壁画/パブリックアートに注力し、国内外で活動を展開している。
OT29
2004年京都で結成された超現場主義ライブペイント集団。京都を中心に全国各地でライブペイントを続け、海外で開催された「Paint for JAPAN」や「HANDMADE KOREA FAIR2012」に出演するなど、国内外の活動を精力的に行う。

ジュビリーⅣ
王と王妃を思わせる《ジュビリーVI》は、権威や秩序を抽象化しつつ、人間存在の不安や緊張を象徴的に示す代表的なシリーズである。1956年のヴェニス・ビエンナーレで国際彫刻大賞を受賞し、国際的評価を確立した。本作もこの展開の中で制作され、簡潔な構成の中に鋭い量感と緊張を宿す。屋外展示を前提としたスケールと素材感は、戦後彫刻の新たな地平を示すものとなっている。
リン・チャドウィック
1914年、イギリス生まれ。建築製図や海軍航空隊での経験を背景に、戦後に彫刻へ本格的に取り組んだ。1950年代のイギリスでは、より構造的で緊張感ある造形を志向する動きが現れ、チャドウィックはその中心的存在となった。鉄の溶接による骨格的構造と鋭角的な面で人体像を構成し、ヘンリー・ムーアに続き屋外彫刻の新たな可能性を切り開いた。

太陽の塔
塔の頂部には金色に輝き未来を象徴する「黄金の顔」、現在を象徴する正面の「太陽の顔」、過去を象徴する背面の「黒い太陽」という3つの顔を持っています。
構造は、鉄骨、鉄筋コンクリート造りで一部軽量化のため吹き付けのコンクリートが使われています。また、内部は空洞になっており、博覧会当時は地下展示と空中展示をつなぐ動線の役割を果たし、また、生命の進化の過程を示す展示空間でしたが、博覧会閉幕後約50年近く、公開してきませんでした。
「太陽の塔」は過去・現在・未来を貫いて生成する万物のエネルギーの象徴であると同時に、生命の中心、祭りの中心を示したもので、博覧会開催期間中、博覧会来場者(約6,400万人)に多くの感動を与えました。
岡本 太郎 / TARO OKAMOTO
岡本太郎(1911-1996)は、神奈川県出身の日本人画家で、父・ 岡本一平(漫画家)、母・ 岡本かの子(歌人・小説家)のもとに生まれ、パリでの10年間の滞在でピカソなどから影響を受け、帰国後は「芸術は爆発だ! 」の言葉で知られる前衛芸術家として「太陽の塔」などを制作し、文筆・講演活動でも活躍した、日本を代表する芸術家です。

大阪
遊具をイメージした作品。子供の頃、近所にタコ型の滑り台がある公園があり、みんなタコ公園と呼んでいた。他にも象徴的な遊具のある公園はその遊具の名前で呼ばれていた。今回は、そうした記憶をもとに、大阪駅の広場に訪れる人々にとって、ちょっとした広場の目印になることを願って制作した作品である。
三野重 龍 / RYU MIENO
京都を拠点に活動するグラフィックデザイナー。美術や舞台作品のロゴデザインや広報物の制作を中心に、文字を軸にしたグラフィックデザインを実践している。力強くフィジカルな線や面、動植物や自然のものの形、模様からインスパイアされたタイポグラフィを特徴とする。

スマのおさかな
淀川テクニックが制作した立体作品「スマのおさかな」は神戸須磨シーワールドと、神戸須摩シーワールド ホテル & リゾートの間にある道路沿いに設置されています。施設利用者に限らずどなたでもご覧になれる作品で、人気の撮影スポットになっています。
作品の主な素材は旧須磨水族館から出た廃材と淀川テクニックが須磨海岸周辺の瀬戸内海で集めた海洋ゴミです。また、須磨海岸の清掃を定期的に行っている神戸海さくらさんにもご協力いただきました。
作品の素材として使われているゴミには一切着色をしていません。物としての価値を一度失ったゴミを見事に組み合わせることでカラフルな魚として息を吹き返した作品は多くの人に親しまれています。
淀川テクニック
柴田英昭(1976年、岡山生まれ)のアーティスト名。
2003年、大阪の淀川河川敷にて活動開始。ゴミや漂流物などを使い様々な作品を制作する。
赴いた土地ならではのゴミや人々との交流を楽しみながら行う滞在制作を得意としている。
近年では環境問題に関わる展示に招かれることも多い。

あっという間スライダー
本作は、ジップラインのような移動体験を通して、「あっというま」という時間の感覚を身体で味わうインタラクティブアート作品である。
そこに「人生」という要素が加わることで、この体験は年齢によって異なる意味を帯びる。子どもにとっては爽快な遊びであり、大人にとっては日々の時間の速さや人生の流れをふと意識させる瞬間となる。
本作は、誰もが共有する身体感覚を通して、時間の流れと向き合うきっかけをやわらかく提示する。
佐川 好弘 / TAKAHIRO SAGAWA
1983年大阪府生まれ、大阪在住。2005年大阪芸術大学短期大学部専攻科修了。漫画における遠近的に飛び出す文字表現を立体へと展開し、感情やコミュニケーションに関わる事象を、彫刻やパフォーマンスなど多様な手法で発表している。思春期や人生における繊細で無垢な感情に働きかけるインタラクティブな作品を通じ、鑑賞者の身体的な関与を促す表現を志向する。さらに、パワースポットを作品として捏造する、「インスタントパワースポット」では、参拝や祈願といった行為を体験要素として取り込むことで、現代における信仰や価値観のあり方を、ユーモアと批評性をもって再考している。

朱甲舞
京都駅ビルの室町小路広場に(大階段のある4階)位置し、大階段を客席にしたコンサートなどのステージイベントが多く開催されます。広場で目を引く朱色のモニュメントは「朱甲舞」(作:清水九兵衛 )と名付けられ、鎧を着た舞い人を、古都を彩った朱色によって表現されています。
清水 九兵衛 / KYUBEY KIYOMIZU
清水九兵衞/六兵衞は、塚本竹十郎の三男として1922年に名古屋に生まれました。沖縄戦からの復員後、東京藝術大学工芸科鋳金部等で学び、1951年に六代清水六兵衞の養嗣子となり陶芸の道に進みました。陶芸家としての評価が高まる一方で「もの」と周囲の空間に対する関心が深まり、1966年に初めて彫刻作品を発表。1968年に「九兵衞」を名乗り、陶芸制作から離れ、アルミニウムを主な素材とする彫刻家として活動していきます。その作品は、構造と素材、空間などとの親和性(アフィニティ)を追求したもので、日本各地に設置された彫刻からもその創作意識を窺うことができます。
清水は1980年の六代六兵衞の急逝を受けて七代六兵衞を襲名しました。その作品は、土の性質や焼成によるゆがみを意図的に用いたものであり、そこで得られた経験を、陶とアルミを組み合わせた作品、和紙やクリスタルガラスによる作品などに生かし、九兵衞/六兵衞としての新たな造形を示しました。

螺旋の水路
地元出身の彫刻家、井上武吉の構想を引き継いだダニ・カラヴァンが手掛け、園内全てが芸術作品で構成されています。
7.8ヘクタールの敷地に様々なモニュメント配置し、2006年に開園しました。
「自分の作品は、その場に立って、歩いて、触って、嗅いで、耳を傾けて初めて本当に味わってもらえるものだ」とダニ・カラヴァンが言うように、光や音の反響など、見る角度や時間によっても大きく変化します。
この空間は伊勢神宮から室生寺を経由し淡路島まで聖地を結ぶ北緯34度32分の線、いわゆる「太陽の道」を強く意識されています。
ピラミッドの島、太陽のゲート、天文の塔、螺旋の水路など光と空間を強く感じる設計になっています。
ダニ・カラヴァン
テルアビブ生まれ。造園家であった父から影響を受ける。1943年、テルアビブでマルセル・ヤンコ(英語版)に師事。1943年から1949年にかけてエルサレムのベツァルエル美術デザイン学院で学ぶ。1948年から1955年までキブツに住んだ後、1956年から1957年にかけて、フィレンツェ美術学校(英語版)でフレスコ画の技法を学び、グランド・ショミエール芸術学校で絵画を学んだ後、1960年代から彫刻を作り始める。 1960年から1973年にかけてイスラエルやニューヨークで舞台芸術のデザインの仕事を行い、1970年代以降は展示場所の環境も取り入れて完成させる環境造形的な作品を多数制作